受精卵移植技術とは
雌牛の性周期は約21日といわれ、この間に卵巣では通常1個の成熟した卵胞が排卵します。この時に人工授精をして妊娠すればおよそ280~285日の妊娠期間を経て1頭の子牛を分娩します。こうして事故なく子牛を分娩しても雌牛から一生を通じて得られる子牛は10頭前後になります。
雌牛の卵巣には、将来子牛になれる原始卵胞が5~7万個ぐらいあるといわれています。これらの卵胞をホルモン注射によって成熟させ、優良な雌牛から多数排卵させ、優良な雄牛の精液を人工授精して一度に多数の受精卵(胚)を母体から取り出し、使用可能な受精卵を他の雌牛の腹を借りて移植し、優良な子を増やし改良速度を早めようというのが受精卵移植の基本的な考え方になります。
現在、牛の大部分が人工授精を実施して産子を得ていますが、これはどちらかというと主に雄側からの牛の改良にあたります。受精卵移植技術は優秀な母牛から多くの受精卵を作成するので雌側からの改良を飛躍的に進めることが可能な技術ともいわれています(優秀な母牛を年1産させるより、その母牛より受精卵を作成して他の牛に移植することで短期間に多くの遺伝的に優良な産子を得ることができます)。
受精卵移植技術では受精卵を提供する母牛を供卵牛(ドナー、卵提供牛)と呼び、受精卵を受け入れて育ててくれる雌牛を受卵牛(レシピエント、ホスト、借り腹牛、移植牛)と呼んでいます。
受精卵移植は胚移植またはET(Embryo Transfer)ともいわれています。受精卵は大きく分けて体内受精卵と体外受精卵に分類され、受精卵は移植したい母牛(受胚牛またはレシピエント)の発情から6~8日目にしっかりとした黄体がある側の子宮角に深部注入する形で移植します。
受精卵移植技術の利点と欠点
利点
・優良な雌牛の産子を多く得る(他の牛に移植することで年1産以上させることが可能)。
・貴重な精液を使用することで多くの産子を得る(貴重な種雄牛×優良雌牛)。
・骨盤骨折等で繁殖不適牛と診断した優良雌牛から採卵することで産子の生産ができる。
・遺伝的能力の低い牛 に移植することで、その牛から高い遺伝的能力のあるドナー牛由来の家畜を生産できる。
・双子などの多胎生産技術によって生産頭数の増大が図れる。
・受精卵の輸送は生体輸送よりもコストダウンが図れ、流通が広域化する。
・卵管通過障害や暑熱等で人工授精では受胎しにくい牛に受精卵移植することで受胎させることができる(長期不受胎対策)。
・受精卵の凍結保存技術により遺伝子の保存ができる。
欠点
・生産コストが人工授精に比べ高い。
・採卵しても薬剤に対する反応が悪かったり、まれに卵巣過剰刺激症候群という副作用が生じて使用可能な受精卵が採取できなかったりすることがある。
・連続して採卵する場合、ほとんどの牛で生産効率が落ちていく。
・農場の近くに獣医師や受精卵移植師がいないと採卵および受精卵移植が成り立たない。
体内受精卵移植技術の実際(採卵~移植まで)
ドナー牛の選定
採卵および移植はドナー牛および受卵牛とも適切な飼養管理、繁殖等の記録管理、発情観察などが重要となります。
その農場において、過去に産子が優秀な成績が認められた牛や系統が優秀な牛で、正常な発情周期が少なくとも2回以上確認でき、子宮および卵巣に異常が認められないものを基本的には選定します。
過剰排卵(多排卵)処置(SOV;super ovulation)
牛の過剰排卵誘起処置には卵胞刺激ホルモン(FSH)が主に使用されています。投与量はドナー牛の品種、体重、年齢によって調整します。余談になりますが、豚においては妊馬血清性性腺刺激ホルモン(PMSG)を使用します。
基本は発情後8~14日目の雌牛に卵胞刺激ホルモン(FSH,アントリンR・10またはアントリンR10・Al)を注射して、その3日後にプロスタグランジンF2α(PGF2α,ダルマジン)を注射すると、2日後に発情兆候が現れます。FSHを注射すると卵巣の未成熟卵子 (直径2~5mmぐらいの三次卵胞 (tertiary follicle))が一斉に発育を始めます。次いでPGF2αの投与で急激な黄体退行が起こり、これに伴うエストロジェン作用で成熟した卵胞は排卵に至ります。この時期に人工授精を実施します。人工授精時(または人工授精前後)に排卵を促すためGnRH(スポルネン・注)を使用することがあります。卵子は卵管膨大部まで下降し、精子は子宮角を上行しお互いが出会って受精します。受精した卵子はやがて2、4、8、16と細胞が分割していき、32~64細胞に分割するころ(受精して5日を過ぎる頃)になると受精卵は卵管から子宮角の先端ぐらいまで降りてきます。
受精卵を体外へ取り出す卵回収
一般には受精後7~8日目に受精卵を子宮角から外部へ洗い出して回収します。バルーンカテーテルと呼ばれる特殊なカテーテルを片側ずつ子宮内に留置して、灌流液を用いて子宮の先端を洗浄する形で子宮より受精卵を体外へ取り出します(左右に子宮角があるので右子宮角および左子宮角の2回洗浄します)。
取り出した灌流液の中に受精卵が含まれているのでその液を受精卵が通過しない網目のフィルター(エムコンフィルター)にかけてトラップする形で受精卵を回収していきます。
受精卵の良否を決める卵鑑別
回収したエムコンフィルターから受精卵を顕微鏡下で取り出し(写真1、2)、使用可能な受精卵を選別します(写真3)。
この時期に回収した受精卵は桑実胚(CM)から胚盤胞(BL)でいずれも細胞の外側は透明帯という糖タンパクからなる薄い膜に覆われています。受精後9日目になると細胞数は100を超えてだんだんと受精卵が大きくなり、周囲にある透明帯を突き破って外へ出ていきます。これを脱出胚盤胞と呼んでいます。透明帯は受精時の多精子侵入防止などの生理的な作用や、受精後の細胞が正常に分割していくための物理的な保護作用を有しています。
1回の多排卵処理で得られる受精卵の数は供卵牛1頭あたり10~12個で、このうち5~6個が正常卵といわれています。このようにして得られた正常卵をレシピエント(受卵牛)の子宮に移植します。
受精卵を受卵牛へ移植する受精卵移植(受精卵を提供する母体と受精卵を移植する母体との性周期の同期化処置)
受卵牛の性周期は受精卵を採取した母牛(供卵牛)と同じ時期にするため受卵牛も発情兆候が現れてから6~8日目でなければいけません。通常は移植する10日前に受胚牛の黄体を確認してプロスタグランジンF2α(PGF2α)製剤を投与します。発情をしっかりと集中させたい場合、さらにその前にオバプロンV(腟内留置型プロジェステロン製剤)などを挿入することがあります。
受精卵を体外で保存する短期培養や凍結保存
受精卵を移植するまで時間を要するときはストロー内(写真4)に受精卵を入れて、38℃程度で加温しながら移植時まで保持します(写真5)。
凍結保存技術には他にガラス化法やステップワイズ法がありますが、融解後に凍結保護液の除去が必要となり、顕微鏡で観察しながら受精卵を操作する必要があるので、ほとんどの方が凍結融解後に直接移植できる緩慢凍結法を採用しています。
次回は、体外受精卵移植について解説します。
2段目左から、桑実胚Aランク3個、桑実胚Bランク6個、桑実胚Cランク4個、桑実胚Dランク2個
3段目左から、未受精卵6個、変性卵5個(分割しているが途中で発育止まり生きている細胞がない)